人気ブログランキング | 話題のタグを見る

もはやブログじゃない

kichigaiii.exblog.jp

ブログトップ

semスキン用のアイコン01 ブログ 286 semスキン用のアイコン02

  

2013年 09月 01日






僕の彼女が入院している病院に、年老いたおばあちゃんがいた。

2ヶ月前、加奈が2tトラックと接触事故を起こしたと聞いたとき、顔が真っ青になった。
このときの「真っ青になった」という表現は比喩ではなく、病院に駆けつけるときに見た鏡に映る自分は本当に真っ青な顔をしていた。

粉砕骨折及び7箇所の打撲、全治2ヶ月。医者は口を揃えて「奇跡だ」と言った。普通はこの程度の怪我では済まないと。彼女は事故直後から2日ほど目を覚まさなかったが彼女の手にはずっとお守りのようなものが握られており、全身の力が抜けているのに対しその指の力だけは力強く、「まだ生きている」ことを証明する他にない状況だったと医者は説明してくれた。

「医学でもそういうことがちゃんと証明されている。人が死の瀬戸際に立ったとき、この世界の未練や執念に対しそれらの思い、つまり精神力が体の回復に繋がる」医者は苦笑いをしながら続けた。「いやぁ驚いたなぁ。彼女が握ってたお守り、君が付き合ったときに彼女に作ってあげたものなんだろう?」



「青柳くん、知ってる?」
「なにが?」

大学2年の頃ファミリーレストランの厨房でアルバイトをしていたとき、デザートに出すりんごの皮をよく剥いていたのを思い出した。僕はりんごの皮を剥いて食べやすいサイズに切ってから加奈に手渡した。

「この病院にね、90歳のおばあちゃんが入院しているんだけど、実はそのおばあちゃん、生まれた頃からずっと病院で生活してるんだって」
「どういうこと?それは何か重い病気で外に出ることができないということ?」
「うーん、詳しいことは分からないんだけどね。ただずっと産まれてから死ぬまで外の景色を知らず今まで生きてきたらしいの。それってどんな気持ちなのかなぁ。ただの2ヶ月でさえ入院生活が死ぬほど退屈なのに」

加奈は一瞬笑った後、無表情になった。日暮れの灯りが窓から差し込み、加奈は窓の外の風景、いやそれよりももっと遠くにある何かを見つめるように目を細めた。

「ありがとうね」
「ん?」

あれから数時間他愛もない会話をしてから帰ろうと加奈に背中に向けたときだった。

「りんご?あぁ、いやいや、彼氏として当然のことだよ」
「違うよ」

加奈はまた遠くを見つめていた。

「りんごをくれたことじゃなくて、りんごをくれる人が私の傍にはいてくれていることにだよ」

加奈はぎこちなく笑って、もう一度繰り返した。「ありがとうね」





喉が乾いたので病院内の自販機で缶コーヒーでも買って帰ろうと思い、病院内の休憩スペースに足を運んだときだった。
ナースステーションの前で、人集り、と言う言葉を病院内で使うのは少しおかしく、患者と看護師という関係上、そうなることは少なくないと思うが、声を荒らげる年老いた男とそれをなだめるように苦笑いを浮かべる看護師達が目に入った。

僕は日本人の野次馬根性を存分に発揮し、それらの会話が聴こえる椅子にわざと腰をおろした。

「頼む!あいつを外に出してやってくれ!!」

顔を見る限り、90近いのだろうか。腰がひん曲がり、皺と豊麗線で形成された顔は、だけど不思議と若さも隠れ滲んでおり、声もしっかりと通っていた。

「豊中さん、落ち着いてください」

看護師達は困った様子で何度も何度も同じことを言いながらその豊中さんと呼ばれる老人を宥めていた。
老人もそれに負けじと大きな声で張り合っていた。

「今年しかないんだ!来年もあいつが生きてる保証はない!頼むよ!!」

そこで老人が首を90度回転して、違う方向を見た。
その方向から白衣を着た男が足早に近付いてきた。

「あぁ、岸辺さん。あんたなら分かるだろ?あいつは今年がもうギリギリなんだ。頼むよ、あいつを外に出してやってくれ」
「豊中さん、まずは落ち着いてください。ここで大声を出されると他の患者さん達に迷惑がかかります。一旦病室のほうに...」
「そんな時間はない!!今すぐだ!!!今すぐあいつを!!!」

僕は茶番だと思いつつも「この世にはおかしな人もいるもんだ」という程度の気持ちで腰をあげた。
帰ったら何をしようか、ゲームをしようか、テレビでも見ようか、そんなことを考えているとき周囲が再びざわついたので、僕は無意識に首を後ろに向けた。

さっきの老人が先ほどの白衣を着た男に頭を下げているのが目に入った。病院の冷たい床に頭と膝をぴったりとつけて、土下座の体勢で何度も「頼む!!いや、お願いします!!」と叫んでいた。




その老人を見ることはもうないだろうと思っていたが、それからすぐの2日後、病院の屋上でその老人と出会った。

加奈と一緒に屋上へ足を運んだときだった。屋上のフェンスに凭れるようにして2人の男女がいたので自然と目が行き、それからその男のほうがこの前病院内で騒いでいたとあの後加奈に話したあの老人であることに気付き、そしてまた、その女のほうも合わせて二人とも年の割に随分と若く見えた。

僕と加奈は黙ってお互い目配りをし、彼らの近くにこっそりと近づいた。


「チヨ...あそこにデパートがあるやろ」
「あるねぇ」
「あのデパートにはな、電気屋ゆうもんがあるんや」
「電気屋?」
「そう、ここは異世界かっつうぐらいきれいな液晶テレビゆうもんが並んどるんや」
「病院にあるようなやつ?凄いね」
「いや、あれの比やないぞ。もっと大きくてかっちょいいやつがゴキブリのようにわんさかあるんや」
「ゴキブリってあなた、表現が分かり辛いわ」

老夫婦は外の景色を指さしたりしながら常に笑いの絶えない会話をしていた。

「あそこの豆腐屋の主人はな、若いころ3股かけてたなんつうて自慢しとったけどな、そこで奥さんが登場して一言、あんたにそな度胸ないやろって。爆笑してもうたわ」
「いいねぇ。平和で」
「そうやね。日本が戦争しとったときから、まだ数年しか経ってない気分やのに、もうこんなに世界は平和になったんやな」
「あなた、私...」
「何も言うな。お前との約束はわしが絶対守る。絶対連れてってやる」




豊中チヨさんが死去したと聞いた日、僕と加奈は担当の医者からたくさんのことを聞いた。

産まれたときから重い病気にかかり、突発的な発作に加えて常に体にチューブを挿し栄養を送らなければ息絶えてしまう為、物心ついた頃に医者から「もう外に出ることはできない」と宣言されたという。

当時は医学がそれほど進んでおらず、医者も掻き集め程度にしかいなかった為数年生きるのも難しかったと当時の手記に記録されていたという。
そんな中良い意味で図太く生き抜いた豊中チヨさんは外の世界を知らぬまま90まで生きた。

チヨさんとその夫である豊中元太との出会いは運命を感じたとチヨさんの担当看護師が静かに笑いながら教えてくれた。交通事故で隣の部屋に入院してきたあの人は初日から散々大声で医者の悪口を口にしていたもんで、隣の部屋まで聞こえてきた、と。それから病院内のどこかで目があって、何かの拍子で会話したとき、「あ、私この人の嫁さんにいくんだ」と直感で感じたとチヨさんは照れながら何度も看護師に説明していたそうだ。



死ぬまで冗談を言い合いながら、最後はお互い無言で手を繋ぎながら、午前7時10分、豊中チヨさんは鳥が囀り外が少しざわつき出した朝の一時、眠るように息を引き取った。

加奈とのお見舞いのときも、その話題で一杯になった。「あんな夫婦になれるといいね」と加奈は恥ずかしながら笑い、僕がそれに「なれるといいね、じゃなくてなるんだよ」と答えた。



産まれてから一切外の世界を知らなかったチヨさん。毎日毎日白い天井を眺めるだけの退屈な日々。普通の人なら気が狂い自ら命を絶ってもおかしくない状況で、彼女は90歳まで生きた。

その陰に豊中元太さんの存在がなかったとは言いがたく、死ぬ前日の夜、医者の粋な図らいと言うのか最後の余興と言うのか、外出の許可が出たという。
二人して東京の街に繰り出したその後を見た人はきっといないが、その時間は金のように貴重で、あっという間に過ぎた楽しい時間だっただろう。


一体どれほどの恐怖になるんだろう。毎日毎日同じ繰り返しで狭い病院の中で一生を告げられた人間の恐怖は。
そして一体どれほどの希望になるんだろう。毎日毎日同じ繰り返しのつまらない一生の中で大好きな人が傍にいてくれるのは。


僕と加奈は果たしてそんな夫婦になれるだろうか。最後の会話を手をつなぐだけで交わせるだろうか。死ぬまで冗談を言い合えるほどお互いを愛せてるだろうか。



「あー、やっぱシャバの空気はおいしいっすなーー」
「囚人かよ」

夕刻時、退院して加奈と一緒に外に出たとき、僕は入院していたわけではないが確かに空気がおいしいと感じた。僕はおそらくこの味を一生忘れないだろう。

「色々あったね」
「色々あったな」
「今からどこ行こうか」
「どこでもいいよ」
「時間も時間だし晩ご飯でも食べに行く?」
「いいね、でもその前に意味も目的もなく、街をブラブラしたいな」
「行けるかな」
「行けるでしょ」
「いや、そうじゃなくて...」

加奈は一瞬苦しそうな表情を浮かべ、それから吹っ切れるように笑った。

「でも大丈夫か。青柳くんが連れてってくれるし」
「え?俺が連れていくの?」
「当たり前でしょ?あんたは病院で何を学んだの」
「行けるかな」
「行けるでしょ」
「さっきと逆になってるけど」
「大丈夫、私達ならどこにでも行けるよ」
「そうだね、どこまでも、行けたらいいね」


その後僕と加奈は手を繋ぎ同じく東京の街を意味も目的もなくブラブラした。

この時間が永遠にならないことを僕らは知っている。だけどそれは何も怖いことではない。

お互い無言で手だけを繋ぎながら歩いた。そう、僕らなら行ける。どこまでも。









【ただいまのブログを更新する力】399モグナイ

by Kichigaiiiii | 2013-09-01 17:20 | .