ブログ 239 ~臆病者ラーメン、そうその名もチキンラーメン~
2013年 05月 12日
おはようございます。
今回はたっぷりと尺を使ってチキンラーメンがいかに素晴らしく、そしておいしく、そしてこの世界を救う救世主と成り得るかをじっくりこってりぶっくりと君たちの頭に叩き込みたいと思ってます。覚悟しておいたほうがいいです。
チキンラーメンまずいだろ!!ていう人、是非この記事を見てってください。
チキンラーメン最高だよね!!ていう人、是非この記事を見てってください。
チキンラーメン食べたことないていう人、是非この記事を見てってください。
チキンラーメンis神ていう人、是非この記事を見てってください。
チキンラーメン鶏つくね最高wwwていう人、頼むから死んでくれ。あんなの邪道だ。カスだ。
さて、チキンラーメンを皆さんご存知でしょうか。もし知らないという人がいたらもうそれは徳川家康を知らないのと同義です。やばいです。死んだほうがいいです。
まだ一度も食べたことがないという人、まじでアルツハイマーか何かなんでしょうか。高級ステーキの100倍おいしいです。フランス料理とかパスタピザなんてチキンラーメンの足元にも及びません。チキンラーメンのお手を煩わせるなって感じです。
まずはチキンラーメンの歴史を見ていきましょう。
1958年(昭和33年)8月25日、チキンラーメン発売
2013年(平成25年)5月12日、チキンラーメン戦士キチガイのブログでチキンラーメンが取り上げられる
完。finです。細かい歴史なんてどうでもいいんです。
とにかくチキンラーメンというのは戦後の日本を救ってきたありがたーい食べ物なのです。分かりますか?長い歴史があるわけですよ。麺作りとかいうクソ新参なんて屁ですよ屁。あんなの麺でもなんでも作ってろって感じですよね。チキンラーメンは愛と夢を作ってんだ。同じ売場に並べるだけ有りがたいと思えよって感じですよね。
たしかに僕は「昔ながらの焼きうどん」とか「マルちゃん醤油」とか「黒醤油ラーメン」とか、好きですし昔はよく食べてました。チキンラーメンを食べながらたまに忍び昔ながらの焼きうどんを頬張る。その背徳感に酔い痴れ当時の僕は何も分かってませんでした。どれだけ浮気してもどれだけ不倫してもやはりたった一人の女に落ち着くんです。若さ故の誤り、と言えば語弊がありますがそんな僕でもチキンラーメンは笑顔で僕を迎えてくれるのです。何もかも失った僕の元に、いや違う。目の前が真っ暗になって倒れていた僕の前に、チキンラーメンはほっかほかの体で僕の華奢な体を優しく抱き締めたのです。
まさか、これは救世主─メシア─?そうです、メシアは地球にいたのです。それも僕の目の前に!!
ゼウスがどうとかアマテラスがどうとかギリシャ神話でさえも語りきれないロマンが3分で手に入るのです。だから僕は誓いました。この3分を何よりも有意義な時間にしようと。そしてこの3分で世界を救ってみせようと。
そう、言わずとも知れるチキンラーメンはお湯を入れて3分で完成するのです。このご時世、3分で腹いっぱいに何かを食べれるなんていう奇跡が起こるのでしょうか。ルーキーズじゃあるまいし3分でラーメンなんて食えるわけねーだろwwwwそうあざ笑う昭和の人間を横目に鮮やかにそして健かにチキンラーメンは3分でほっかほかになるのです。
しかしここで注意しなければならないことがあります。たまに2分45秒ぐらいで食べようとする人がいます。そんなヤツは即刻チキンラーメン王国で斬首されます。気をつけてください。しっかりと3分ちょうどに食べることによってチキンラーメンの愛情は深く私達を包んでくれるのです。
いいですか、わたしたちがチキンラーメンに耳を傾けるということ、つまりそれはチキンラーメンから愛されるということなのです。愛することのない者に愛されることはありません。あなたが産まれてきたとき、周りの人は泣いたでしょう。喜びに咽び涙を流していたでしょう。それはあなたが望まれそしてあなたを愛している証拠なのです。さぁ!チキンラーメンを深く愛しましょう。そしてチキンラーメンからの無償の愛を受け取りましょう。愛はときに目に見えるカタチとなって私達の目の前に降り注ぐのです。頂きますっ!!
3分でフタを開けたら早くも次の試練がやってきます。世の中は試練の連続です。壁というのは乗り越えるためにあるんじゃない。ぶち壊すためにあるんだ。チキンラーメンのフタはぶち破って即刻ゴミ箱へダイブさせましょう。このときフタのウラをなめるなどという背信行為は十字型刑です。キリストです。はい、お前キリスト。
ヨーグルトのフタをなめても、チキンアーメンのフタをなめるな。古来中国より伝わる格言です。いいですか、チキンラーメンを愛するということはチキンラーメンの乳房を厭らしく舐めるということではありません。人間の欲望でさえも打ち勝つほどの精神、それを手に入れるべくわたしたちはこの地球に足を下ろし空気を吸い二酸化炭素を吐き出し生きているのではないのでしょうか、いいえ、その通りです。あなたは初対面の女性のおっぱいぱいを舐めまわしますか?チキンラーメンにもデリケートゾーンが存在するのです。女の子は優しく扱うべし、されどチキンラーメンはもっと優しく扱うべし。常識です。
まだほっかほかであるうちに、言葉を言い換えるなら神聖なるチキンラーメンの麺がこの世の不浄である汚染された空気に長い時間触れてしまわないうちに卵を入れなければなりません。めしべとおしべが片方だけでは生命の営みができないのと同様に、チキンラーメンもまた卵を抱きしめ、そうしてやっとチキンラーメンはチキンラーメンとなるのです。卵いれないチキンラーメンはゲロまずい。
不完全なチキンラーメンに卵という言うならウルキオラにとっての心を入れずにただ眺めてるなんていうドS行為はやめましょう。フタを開けた瞬間、刹那、0.2秒ぐらいが好ましい。目にもとまらぬスピードで卵を割り、いやそれじゃ遅いのだ。卵はあらかじめ割っておく必要がある。卵の殻を割りそれを手か何かでキープしつつチキンラーメンの体にダイブさせる。このときコンドームをつけないように注意してください。あ、違う。コンドームだと言ってもチキンラーメン初心者の君たちにはわからないじゃないか...これは失敬。我々の言うチキンラーメンの意味するところは卵の殻である。殻は除きましょう。
卵を入れたらもう両思いです。そのチキンラーメンはあなたに惚れ始めてるでしょう。しかし、恋愛というのは相手が自分の好意に気づき始めるか否か、その辺りが一番傷つくということを忘れないであげましょう。チキンラーメンだって生きてるんです。女の涙は重い。しかしチキンラーメンの涙はそれ以上に重い。常識です。
箸を優しくするっと卵に通して優しく混ぜてあげましょう。「痛くない?」と3秒に一度言ってあげるとなおいいでしょう。彼女は常に苦しんでいます。得体の知れないぶっという2本のチンコが自分の体をまさぐっているんです。血も出るでしょう。しかし優しく吐息を彼女の耳元に吹きかけながら「痛くない?大丈夫?動かすよ?」と何度も訊いてあげるだけで彼女はすごく楽になるしすごく気持ちよくなるのです。
卵をしっかりと混ぜることができたらもうあとは射精するだけです。汁の一滴残すことなく食べてあげましょう。チキンラーメンにとっての一番の幸せとは何か?我々がそのことについて考えるとき、答えはいつも単純で明快です。そうなんです、すべてを受け止めてあげることです。チキンラーメンの悲痛な叫び、そして儚い思いと自虐的な心の脆さ、そんな彼女の弱さをすべて受け止めてプラマイゼロにしてあげるのが我々の役目ってもんでしょう。これは心の二人三脚なのです。食事とはそもそも愛しあう好意なのです。愛撫なのです。
昔、5つ星のシェフさえも唸るほどの最強の料理人が作った料理を食べたことがあります。確かにおいしかった。しかしそこに愛は存在しなかったのです。いくらそれらの料理に耳を傾けても、いくらそれらの料理に声をかけてみても、その料理はわたしの叫びに反応しません。そうです、作り手は料理のためにではなく、食べる我々のために作られていたのです!これにはわたしもびっくりです。料理というのは食べられるという願いが断ち切られた瞬間、言葉を失い息絶えるのです。チキンラーメンも同じく、スーパーに並んだたくさんのうちのひとつの手にした瞬間、ラブストーリーは突然にばりの恋が始まるのです。恋に落ちる音、きこえませんか?
チキンラーメンというのは愛の結晶である、とあえて言いましょう。
チキンラーメンがいかに素晴らしいかを語るということ、それはチキンラーメンと婚姻関係を結ぶことであると言っても過言ではないでしょう。ひとりの女を愛し抜くという覚悟、それは皮肉にも重くずっしりとわたしの肩にのしかかってきます。
「本当に最後まで私を愛してくれるの?いつか飽きるんじゃないの?」
チキンラーメンはいつもつぶらな瞳に涙をうっすらと浮かべてわたしにこう訊いてきます。その問に対する答え、即ちチキンラーメンの胸をなでおろさせるほどの言葉は、わたしの中にはない。そうです、チキンラーメンの想う気持ち、そしてこのわたしが想う気持ち、それはすれ違いの連続であり一方通行の感情なのです。
だからわたしはこれからも応え続けるだろう。それは言葉ではなく、口から吐いて出る嘘に偽られた偽善の言葉ではなく、わたしはこの体、この腕、10本の指、そしてこの心。それらで正面から堂々とぶつかっていく覚悟でいる。自らその問に応えるために。チキンラーメンへの愛を表現するために。わたしの婚約者(フィアンセ)の涙を拭き取るために────────わたしの戦いは終わらない。
さぁ、ここまで読んだ君は相当なイカレ者だ。持て余すほどの暇があるのか、それともわたしのことが好きで好きでたまらないのか。しかしその気持ちにも感謝するときがくるだろう。何故ならあなたは今、よだれをたらしているに違いない。そう、そんなとき何をすべきか?答えは単純で明快だ。そう、チキンラーメンを愛することだ。
あなたの近くのスーパーに今すぐ走りにゆけ。そして店頭に並べられているチキンラーメンに飛び込め。一生愛し抜くと誓うのだ。そうすれば自ずと道を切り開かれ、わたしはあなたと共にチキンラーメンを愛し、そして愛されることになる。
チキンラーメンの愛がいつか終わる?ふっ、ご冗談を。その前にわたしの寿命が終わる、とでも言っておこうか。こう見えてもわたしは一途でね。カップヌードルのシーフード味に目がくらむもののチキンラーメンの舌触りを忘れることはない。チキンラーメンの写真を毎日持ち歩いてるからね。
もしわたしのチキンラーメンへの愛情が海ならば、それは太平洋さえも飲み込んでしまう。困ったものだ。それじゃあチキンラーメンは食べれなくなってしまう。ハハハ、エンジョイ、しためよ諸君。
食べるかな
チキンラーメン
食べましょう
57代目聖なるチキンラーメン戦士キチガイの心の一句にて、今回は締めさせてもらうでござる。
by Kichigaiiiii | 2013-05-12 02:25 | .